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藤本寿徳

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福山の近代化遺産
読売新聞に山野発電所の記事がありました。福山の近代化遺産として大事にしたいものです。
何度か写真を撮影に行っているので、掲載します。

こちらでたくさんの写真がご覧いただけます
https://flic.kr/s/aHsjxKHEs6








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山野発電所開設80年 3万7000トン水抜き大改修
県内最古級 当初の姿今もとどめ

 福山市御門町の電力会社「福山電気」が、山間部の同市山野町で運営する水力発電所「山野発電所」が、1931年(昭和6年)の開設から80年目を迎えた。現存する発電施設としては県内最古級とされ、現在、発電に使う水路の水約3万7000トンを抜いて、大規模な改修、清掃作業が3年ぶりに行われている。社員に同行し、今も操業開始当初の姿をとどめる施設内を歩いた。(河部啓介)

 7日の正午前、同発電所の串田真三所長(55)と、山の中腹にある発電所を出発した。187メートル高い場所にある水槽を目指し、急な山道を約300メートル登る。串田所長は、「若いんだから平気でしょう」と、ずんずん歩いていくが、運動不足気味の記者はついていくのがやっとだ。

 串田所長によると、水槽と発電所間の187メートルの高低差こそが発電のポイント。水槽にためた水を鉄管を通して一気に落とし、発電所のタービン(水車)を毎分514回転させ、毎時2006キロ・ワットの電力を発生させているのだ。これは一般家庭約2000世帯分の消費電力に相当するという。

 約20分後、汗だくで水槽に到着した。7・85メートル四方、水深2・64メートルの水槽内をのぞくと、水は抜かれており、串田所長ら社員6人と木のはしごで水槽の底に降りると、高さ、幅約2メートルのアーチ状の穴が現れた。「これが水路の出口です」。串田所長が指さした。水路は水槽に水を供給するためのもので、山野町と神石高原町の境にあるダムまで約6・5キロ続いているという。

 水路内を進みながら、延べ約33万6000人が3年近くかけて完成させたという難工事に思いをはせた。米1俵(60キロ)が6〜10円の時代に、日当は約80銭。朝鮮半島から多くの労働者がやってきたといい、トンネル内に赤ペンキで、「仕事がきつい」「早く帰りたい」などとハングルの落書きを残した人もいたそうだ。

 ダムまで歩き通したかったが、水を抜いた直後は、まだ体がつかるほど水が残っている場所もあり、危険なため途中で引き返した。

 完成当時の様子が知りたくなり、近くの古老を訪ねた。無職渡辺粂雄さん(91)は「不景気な時代だったので、町が活気付いた」と、労働者らでにぎわった昔を懐かしんだ。工事現場で出たバラスト(砕石)を集めて、売りに行ったこともあるそうだ。

 1956年(昭和31年)に入社した前所長、下宮昇さん(72)は、山奥の約30世帯に初めて電気が通った時、喜んだ住民が社長宅に炭を持って来たという話を、先輩から何度も聞かされたという。

 社員は3交代制で発電所に常駐し、雨が降れば山に登って水槽を点検し、田植えの季節にはためた水を放水して近隣の田畑を潤した。業務内容は昔も今もほとんど変わらない。下宮さんは「家族同様の社員たちと発電所に愛着があったから、続けられた」と振り返った。

 別れ際、社員らは「100周年を目指します」と話してくれた。発電所の建物は木造で、今では全国的にも珍しくなった「ペルトン水車」と呼ばれるむき出しのタービンが回っていた。この風景と社員の心意気を、末永く伝えてほしいと思った。

山野発電所 福山電気によると、福山市の実業家、藤井興一右衛門が、趣味の山歩きで訪れた山野地区に関心を示し、水力発電を発案。1922年(大正11年)に同社を設立し、29年(昭和4年)に発電所の工事に着手。31年7月に発電を始めた。当初は、山野地区の電灯と、同市手城町にあった同社の化学工場用に配電していたが、88年以降は中国電力に売電している。

(2010年5月9日 読売新聞)http://bit.ly/bzXCo7



11:23, Tuesday, Jun 01, 2010 ¦ 固定リンク

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