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藤本寿徳

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やさしい設計
昔、僕が設計した住宅を村上徹さんに見ていただいた時の話である。
家を案内する途中、家の外部の靴洗い場に村上さんの目が止まった。「やさしい設計だね」とポツリと言われた瞬間僕は凍り付いた。決して褒め言葉でない。
言葉を「人に優しい」と捉えたら大間違いである。施主の要望をそのまま聞き入れ、目立たない場所に靴洗い場をつくったのだが、それは「優しい設計」なのではなく、「易しい設計」なのだ。
つまり、依頼者からの「靴洗い場が欲しい」という要望に対して、そのまま靴洗い場を設けたことが「設計が易しい=考えずに済ました=素人にでもできる設計」ということなのだ。

打合せの中で、たくさんの要望が依頼者から上がってくる。まだ見ぬ家の利用勝手を心配して、コンセント、照明 散水栓などの位置や個数の打合せになる。誤解があっては困るが、依頼者と充分打ち合わせをし要望もあげていただきたい所である。僕自身も心配をして、安全を見て準備してしまいがちである。そこが能力不足なのだ。

本当に無くてはならないものだろうか?洗い場が無い家ではどうしているのだろうか?つけるとしたら、カタログから選んで済ませるのではなく、どのようにデザインすべきか?などを考えなくてはいけない。
実際その家では、今までほとんど使われている形跡は無く汚れて放置されている。これは設計者の責任である。相手が要望したことの本質を、その利用頻度を考えて、「靴を洗う」という行為にどのように対応するか考え抜かなければならなかった。その時の洗い場の回答の出し方が安直。僕に能力が欠けていた。

不安を持つ依頼者に、決して押し付けるのではなく、心から確かに違う解決の方がいいと納得できる説明ができなかったのだ。依頼者はそれぞれ価値観や生活様式が違うため、一つの答えを用意しているだけでは駄目で、相手の意見を交え話し合いで決定していく必要がある。しかし今でも、時間がたって考えると判断を誤ったと後悔することがある。便利なものは何から何まで最新のものがあった方がいいという考え方だと美しさには到達できない。見た目の美しさだけでなく、考え方の美しさ、価値観や生活の美しさを放棄していることと同じである。その人なりの美しさ、潔さが現れないのだ。

昔の民家を想像してみる。便利な設備や既製品が何も無い時代にどのように暮らしていたのか。最近では痒いところに手が届く、おせっかいな設備が多々商品としてカタログに載っている。便利なように見えて不要な機能であったり、そもそも不要なのに、デザインされたモノかのように興味を誘う。建築には多種多様な既製品がとりつくと美しさが損なわれる。新しい商品の情報を仕入れることは、とても重要だけど同時に本当にそれが必要か、他の解決方法が無いかを考える必要がある。実力のある建築家の住宅を見ると、このことが徹底されている。実力のある建築家の住宅は必要最低限のものが美しく配置されていて、既製品をそのまま使う事は少ない。また、無意味に特注品をつくり無駄なお金をかけることもしない、既製品も慎重に選ばれさりげなく使われている。

美しい町並みや集落には、余計なものが無い。電線、看板、アンテナ、門や塀、郵便受け、バルコニー、物干し、駐車場、換気フード、室外機、雨樋、ドアノブ、、、どれも必要なものだが、カタログに載っている雑多なものが、統一感もなく、そのまま町に露出しているのでは美しくなるはずがない。建築をデザインする以前の問題として、機能を損なわず余計なモノを消せることが設計の実力である。

「天井や壁に照明器具を付けない家にしましょう。」依頼者に提案すると大変驚かれる。「天井に照明器具」。現代住宅では当たり前過ぎる光景だからこそ、「無い」という事自体にたじろいでしまうのも仕方ないだろう。しかしこれはいつからの当たり前なのだろう。天井に何も無いとすっきりしてとても美しい。例えば、僕はホテルを利用する際に天井にシーリングライトやダウンライトがあるかを一番にチェックする。あると興ざめする。デスクライト、スタンドライトで充分明るく美しい光が演出された部屋が見たいからだ。村上事務所の天井に照明器具が無いのを真似て、僕の事務所のシーリングライトを外してみた。藤本事務所はまだ照明器具が揃っていないので今は無意味に暗いだけだが、村上事務所では陰影礼賛の世界に近い。 照明の無い部屋が実現できたのは、辺名地の家と東町の家の寝室のみである。東町は設計で用意したスタンドライトだけでは暗い。設計は難しい。
19:27, Thursday, Jan 17, 2008 ¦ 固定リンク

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