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藤本寿徳

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2010年 6月1日

iPadから思うこと
なぜappleは成功するのか?iPadのようなウケる製品を生み出せるのか?

その答えは「デザイン」と「スティーブ・ジョブスのビジョン」にある。

「デザイン」といっても、製品の姿形だけを指す言葉でなく、

 ・appストアを通じた(音楽、ソフト、出版物)の販売流通の仕組みのデザイン。
 ・居間のソファでiPadを膝にのせて楽しむライフスタイルのデザイン。
 ・ソフトやコンテンツの開発は他人に任せて、自らはそのプラットフォーム作りに専念する。
  などなど…

といった「もののあり方を問うトータルのデザイン」において優れているという指摘をテレビで解説者が言っていた。その通りだと思う。

iPadの機能は新しいものは何もなく、できることも今までのノートブックの方が多い。
コンピューターで「作業」することをやめさせ、「閲覧」することだけを対象にしている。

 ・マウスをなくす事。(だからipadでcadもphotoshopも使えない)
 ・物理的キーボードも無くした。
 ・コードをなくす事。
 ・持ち運び易く軽く小さくすること。
 ・ネット関連の機能に特化したこと。
 ・ソフトや電子書籍もクリック一つで買えること。
 ・カメラを無くしたこと。

これらのことで、ノートブックより少ない機能にも関わらず、コンピューターと人とのつきあい方を変化させてしまった。

高機能、低コストのコンピューターをいかに作るかという発想ではなく、

「コンピューターが身近にあるIT社会における生活像はどのように描けるか?その時、コンピューターはどうあればいいか?」という考え方からの結果だと思う。

これらのことは、実は建築の設計におけるプログラム論(論とまでいうと大げさだが)に慣れている人間にとって、とても得意な発想方法だと思っている。

appleは沢山の種類の製品を作らない。数タイプの原型を提示する。
建築のジャンルに強引に結びつける必要もないけど、「デザイン」というのは、そういうことだと改めて思う。




(僕が特に関心したこと。)

iPodの時からだけど、iPhoneもiPadも製品のケースの裏側がとても傷つき易い材料でできていること。
この判断は、チャレンジ(冒険)である。

傷つくのが嫌ならケースに入れれば解決する。ケースを使うかどうかはユーザーの判断にゆだねればよい、それと引き換えに美しいデザインができる。
そのデザインに人は魅了される。
ユーザーからは傷が入り易い素材に文句がでない。ユーザーが進んで自分好みのケースを探している。

建築の設計の場合は、このことについて直接施主と話せるけど、大量生産品の場合、直接の対話もできないし、様々な意見があって収集がつかない。そこを突破している。

このギリギリ感は建築に通じるところがあるように思う。

建築でいう場合のギリギリ感は、クライアントと建物とのつきあい方をさす。
昔から日本建築の生活を美しく彩ってきた背景には、メンテや掃除、生活の工夫などがあった。
それに対して最近の、メンテフリーで便利なのが当然。ステレオタイプのスペックしか知らないし語れないことが多いのを危惧する。

逆に設計者はギリギリを提案するのであればその先に、魅力的な建築や生活の豊かさを提示しないといけない。

18:10, Tuesday, Jun 01, 2010 ¦ 固定リンク


ウルグアイからの訪問
先週、南米のウルグアイ大学の学生が「須波の家」を見学に訪れました。

彼らは卒業の最終学年に7ヶ月をかけ、世界の建築見学ツアーを毎年行っていて、今年は65年目のツアーになるそうです。旅行費は全て国費でまかなわれているのが凄いのですが、将来の国の発展を担うエリート達です。
150人のツアーなのですが、さすがに全員は入れないことと、三原駅からの移動も大変なので、20人のグループに限定させてもらいました。

(彼らがツアーを報告するウェブサイト)http://www.tallerscheps.com/2010/

いろいろな意見交換ができました。ウルグアイと日本の都市、住宅事情の違い。

首都モンテビデオの都市部はほとんどが集合住宅に住み、郊外に高級住宅街があるそうです。

またウルグアイは首都モンテビデオに大多数の人口が集中する一極集中の国であり、また平地が多く、須波のようないいロケーションだと土地の値段がとても高いそうで、ウルグアイの感覚からすると土地代、建設費を聞いて安いと感じるようでした。

なによりも、持ち家率が少ないお国柄か、別荘でなく普通の人のプライベートハウスであることに驚いていました。
瀬戸内の多島美にも感嘆の声をあげていました。

我々には見慣れた風景でも、他の場所に住む人の意見を聞く事で、改めて瀬戸内の素晴らしさに気付かせてもらえるのが励みになり、嬉しくもなります。

僕が日頃、南米の建築にシンパシーを感じているので、彼らが寄せてくれた関心を嬉しく思っています。お互い何か通じる感覚を共有しているのだと思います。

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その他の写真もフリッカーにアップしています。
http://bit.ly/cbAZ3y


ウルグアイといえば、
2000年に亡くなったエラディオ・ディエステという、ウルグアイ大学の教授もつとめた大建築家がいます。
http://bit.ly/aSUdEj

11:42, Tuesday, Jun 01, 2010 ¦ 固定リンク


福山の近代化遺産
読売新聞に山野発電所の記事がありました。福山の近代化遺産として大事にしたいものです。
何度か写真を撮影に行っているので、掲載します。

こちらでたくさんの写真がご覧いただけます
https://flic.kr/s/aHsjxKHEs6








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山野発電所開設80年 3万7000トン水抜き大改修
県内最古級 当初の姿今もとどめ

 福山市御門町の電力会社「福山電気」が、山間部の同市山野町で運営する水力発電所「山野発電所」が、1931年(昭和6年)の開設から80年目を迎えた。現存する発電施設としては県内最古級とされ、現在、発電に使う水路の水約3万7000トンを抜いて、大規模な改修、清掃作業が3年ぶりに行われている。社員に同行し、今も操業開始当初の姿をとどめる施設内を歩いた。(河部啓介)

 7日の正午前、同発電所の串田真三所長(55)と、山の中腹にある発電所を出発した。187メートル高い場所にある水槽を目指し、急な山道を約300メートル登る。串田所長は、「若いんだから平気でしょう」と、ずんずん歩いていくが、運動不足気味の記者はついていくのがやっとだ。

 串田所長によると、水槽と発電所間の187メートルの高低差こそが発電のポイント。水槽にためた水を鉄管を通して一気に落とし、発電所のタービン(水車)を毎分514回転させ、毎時2006キロ・ワットの電力を発生させているのだ。これは一般家庭約2000世帯分の消費電力に相当するという。

 約20分後、汗だくで水槽に到着した。7・85メートル四方、水深2・64メートルの水槽内をのぞくと、水は抜かれており、串田所長ら社員6人と木のはしごで水槽の底に降りると、高さ、幅約2メートルのアーチ状の穴が現れた。「これが水路の出口です」。串田所長が指さした。水路は水槽に水を供給するためのもので、山野町と神石高原町の境にあるダムまで約6・5キロ続いているという。

 水路内を進みながら、延べ約33万6000人が3年近くかけて完成させたという難工事に思いをはせた。米1俵(60キロ)が6〜10円の時代に、日当は約80銭。朝鮮半島から多くの労働者がやってきたといい、トンネル内に赤ペンキで、「仕事がきつい」「早く帰りたい」などとハングルの落書きを残した人もいたそうだ。

 ダムまで歩き通したかったが、水を抜いた直後は、まだ体がつかるほど水が残っている場所もあり、危険なため途中で引き返した。

 完成当時の様子が知りたくなり、近くの古老を訪ねた。無職渡辺粂雄さん(91)は「不景気な時代だったので、町が活気付いた」と、労働者らでにぎわった昔を懐かしんだ。工事現場で出たバラスト(砕石)を集めて、売りに行ったこともあるそうだ。

 1956年(昭和31年)に入社した前所長、下宮昇さん(72)は、山奥の約30世帯に初めて電気が通った時、喜んだ住民が社長宅に炭を持って来たという話を、先輩から何度も聞かされたという。

 社員は3交代制で発電所に常駐し、雨が降れば山に登って水槽を点検し、田植えの季節にはためた水を放水して近隣の田畑を潤した。業務内容は昔も今もほとんど変わらない。下宮さんは「家族同様の社員たちと発電所に愛着があったから、続けられた」と振り返った。

 別れ際、社員らは「100周年を目指します」と話してくれた。発電所の建物は木造で、今では全国的にも珍しくなった「ペルトン水車」と呼ばれるむき出しのタービンが回っていた。この風景と社員の心意気を、末永く伝えてほしいと思った。

山野発電所 福山電気によると、福山市の実業家、藤井興一右衛門が、趣味の山歩きで訪れた山野地区に関心を示し、水力発電を発案。1922年(大正11年)に同社を設立し、29年(昭和4年)に発電所の工事に着手。31年7月に発電を始めた。当初は、山野地区の電灯と、同市手城町にあった同社の化学工場用に配電していたが、88年以降は中国電力に売電している。

(2010年5月9日 読売新聞)http://bit.ly/bzXCo7



11:23, Tuesday, Jun 01, 2010 ¦ 固定リンク


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