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藤本寿徳

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iPadから思うこと
なぜappleは成功するのか?iPadのようなウケる製品を生み出せるのか?

その答えは「デザイン」と「スティーブ・ジョブスのビジョン」にある。

「デザイン」といっても、製品の姿形だけを指す言葉でなく、

 ・appストアを通じた(音楽、ソフト、出版物)の販売流通の仕組みのデザイン。
 ・居間のソファでiPadを膝にのせて楽しむライフスタイルのデザイン。
 ・ソフトやコンテンツの開発は他人に任せて、自らはそのプラットフォーム作りに専念する。
  などなど…

といった「もののあり方を問うトータルのデザイン」において優れているという指摘をテレビで解説者が言っていた。その通りだと思う。

iPadの機能は新しいものは何もなく、できることも今までのノートブックの方が多い。
コンピューターで「作業」することをやめさせ、「閲覧」することだけを対象にしている。

 ・マウスをなくす事。(だからipadでcadもphotoshopも使えない)
 ・物理的キーボードも無くした。
 ・コードをなくす事。
 ・持ち運び易く軽く小さくすること。
 ・ネット関連の機能に特化したこと。
 ・ソフトや電子書籍もクリック一つで買えること。
 ・カメラを無くしたこと。

これらのことで、ノートブックより少ない機能にも関わらず、コンピューターと人とのつきあい方を変化させてしまった。

高機能、低コストのコンピューターをいかに作るかという発想ではなく、

「コンピューターが身近にあるIT社会における生活像はどのように描けるか?その時、コンピューターはどうあればいいか?」という考え方からの結果だと思う。

これらのことは、実は建築の設計におけるプログラム論(論とまでいうと大げさだが)に慣れている人間にとって、とても得意な発想方法だと思っている。

appleは沢山の種類の製品を作らない。数タイプの原型を提示する。
建築のジャンルに強引に結びつける必要もないけど、「デザイン」というのは、そういうことだと改めて思う。




(僕が特に関心したこと。)

iPodの時からだけど、iPhoneもiPadも製品のケースの裏側がとても傷つき易い材料でできていること。
この判断は、チャレンジ(冒険)である。

傷つくのが嫌ならケースに入れれば解決する。ケースを使うかどうかはユーザーの判断にゆだねればよい、それと引き換えに美しいデザインができる。
そのデザインに人は魅了される。
ユーザーからは傷が入り易い素材に文句がでない。ユーザーが進んで自分好みのケースを探している。

建築の設計の場合は、このことについて直接施主と話せるけど、大量生産品の場合、直接の対話もできないし、様々な意見があって収集がつかない。そこを突破している。

このギリギリ感は建築に通じるところがあるように思う。

建築でいう場合のギリギリ感は、クライアントと建物とのつきあい方をさす。
昔から日本建築の生活を美しく彩ってきた背景には、メンテや掃除、生活の工夫などがあった。
それに対して最近の、メンテフリーで便利なのが当然。ステレオタイプのスペックしか知らないし語れないことが多いのを危惧する。

逆に設計者はギリギリを提案するのであればその先に、魅力的な建築や生活の豊かさを提示しないといけない。

18:10, Tuesday, Jun 01, 2010 ¦ 固定リンク

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