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藤本寿徳

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2008年 1月7日

オートクローム写真
 昨晩の BS放送で、アルベール・カーンの一枚のカラー写真の美しさに驚いた。
それはイタリア ヴェローナで昼寝をする少女の写真で、フェルメールの絵画のような柔らかな光に少女が包まれている写真だった。
 この写真で使われたカラー写真は、オートクロームという名で、オートクロームを調べてみるとリュミエール兄弟により発明され、1907年にフランスから初めて市販されたカラー写真で、RGB 3色に染めたジャガイモのでんぷん粒子を塗ったフィルターを通して感光させ反転現像するカラースライド(光に感光する銀塩の乳剤をガラス板に塗布した乾板)らしい。

 レンズの性能が低いことも重なって彩度や諧調が低く、コントラストが弱い写真なのだが、現代のカラー写真に見慣れた目からは新鮮で写真というより絵画のような写真が何枚かあった。リアルな再現性を目標に、フィルム開発、レンズ開発は続いてきたが、初期の技術の写真に感動できたことが嬉しかった。いい写真について考えさせられる衝撃を受けた。

 話は変わるが、番組中カーンの研究者が解説で嬉しいことを言っていた。
「カーンは、世界中にカメラマンを派遣し、各国の映像をカメラに納めさせた。文化の多様性を世界に広めることによって、紛争が減ると考えていた。幅広い知識と視覚表現により、未来を平和に導けるだろうと願っていた。」
 紛争を力で解決することは愚かである。他者の存在や文化の美しさを認める豊かな感性を備えることが豊かで平和な社会に繋がると僕も考えているから。

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22:57, Monday, Jan 07, 2008 ¦ 固定リンク


建築の品格
 グローバル経済という、大きな黒い雲に覆われて行く不気味さを感じている。経済や政治について専門でないが矛盾を感じる。アメリカの投機筋の先物取り引きで食料、原油価格が高騰し、アメリカ国内の住宅ローン問題で日本の経済がダメージを被る。アメリカのシステムに支配されつくしているような無力感を感じる。
 世界の警察を自認し、大義のある戦争を肯定し、歴史的に内政干渉、政治的プロパガンダを繰り返して来た、アメリカのネガティブなイメージもそこに加担して、武力と経済力を背景に築かれる品の無い世の中が加速されることに不安を感じている。

 アルベール・カーンが100年前撮影した日本のフィルムを見て、そんなことを考えていた。100年前の姿に魅力は感じなかったけれど、いつから、日本の都市は今のような姿になってしまったのだろうか。品といったら曖昧な言葉なのだが美しさを感じない。
 利益目的で建物を建てることを問題にしてみたい。
 
 今盛んに外資が投機目的で様々な種類の建物を建設している。国内の不動産会社も同様で銀行は融資をし、利益を目的として分譲マンションをつくり、賃貸オフィス、大型テナント商業ビルをつくり、建て売り住宅を建て続けた。これらに共通していることは、実際利用する人達の声が設計に反映されない点にある。利益目的だから、ゆっくり入念に設計されない、工事段階でも職人のプライドをかけて作られない。また利用者も自分のものではないから大事に使わない。自分が建てたものでないから無責任。常にその時その時で気に入ったものを選択すればよい。よって使い古した建物を手放し、いつも新しいものにとびつかざるを得ない…。
 「アジア的な混沌、スクラップビルドという常に更新を続ける都市」といったダイナミックな側面を評価する声があるのも知ってはいるが、僕はやはり今の姿に品を感じない。品を生み出すことと相反しない利益活動が必要だ。

 国内や海外へと自然や癒しを求めて旅行し、別荘を持つ。そのようなバランスの取り方もあるのだろうが、右肩上がりの成長が終わった今、日常に美しさや落ち着きを感じられる都市を用意すべきだと思う。ヨーロッパの美しい都市は、近代化以前の都市の骨格とバランスをとって成立している。ヨーロッパの都市と日本の都市の比較は歴史的に同じ土俵で語ってはいけないのだが、劇的な社会の変化が終わった後も自らのアイデンティティーが残っている点が評価できる。

 僕個人がヨーロッパの都市が好きというわけではない、たぶん、自分が日本人だからか感性レベルでズレを感じる。日本なりの姿を考えることが意味があると思う、それが又楽しい。
 そもそも新しいということしか価値が無かった故に、ゴミのような扱いで捨てられていく建物が山積みになっている可能性が高いという恐怖心を、将来の日本に感じている。敗戦の焦土からここまで「発展」したことについては先人に敬意を表する。それをふまえた上で21世紀には「成熟」していく方向に期待したい。時代に翻弄されない魅力と豊かさを追い求める設計姿勢が建築の品格に繋がる。
09:50, Monday, Jan 07, 2008 ¦ 固定リンク


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