2008年10月30日
福山の二子塚古墳で地積調査(中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200810300007.html
この記事にある二子塚古墳は近田の家から近く、線路を隔てて北側にある。家の大きなガラス窓は、この古墳のある山のある方角へ大きく開かれている。
古墳時代後半のころに造られた古墳ということだが、6世紀後半ぐらいであろうか。この辺りに1500年前に人が住み文化が築かれていたことに思いを馳せると、ロマンを感じる。
この辺りの地形は芦田川の蛇行はあっても、さほど人為的に大きく変化してないだろうから当時に似た地形(山の姿)を目にしているのだと思う。二子塚古墳を知ったことで、近田の家から見える景色を前にすると歴史への想像が広がる。家にいながらにしてこのような体験ができる凄い立地である。
設計している最中は、この周囲の家並みや田畑といった周辺環境そのもの、その広がりそのものが「家」であると考えた。近所にたくさんの親戚が住んでいることも羨ましく感じていた。家の外部環境が家のインテリアとなるために大きな開口を必要とした。いつも住んでいる人は意識することは無いかもしれないが、この風景やコミュニティーに豊かさを感じていたからだ。
先日、久しぶりに近田の家にお邪魔した。新しい家族も増え、幸せそうな信岡さんとの会話を楽しんだ。竣工から5年たち美しく住まわれていて、家がしっとりとした雰囲気になっていてとても嬉しかった。 |
13:47, Thursday, Oct 30, 2008 ¦ 固定リンク
静かな建築に惹かれる。
環境の中に建物が存在することから始まる。佇まいが全てを語るような。あえて言葉にすると、凛とした佇まいや、品を醸し出す建築。そこでは建築が多くは語らなくとも、ボリューム感、プロポーションだけで建築は成立できる。
建物内部に入ると、空間の構成によって、巧みに空間の大小や空間の連続、内外の境界が演出され、何もなくとも心に訴えかけてくる建築がつくれる、そこでは平面や断面の基準となる芯が全てを律する。大工の世界では、墨(通り芯)は、後輩に任せるのではなく、大工の棟梁が自ら打つべきものだという。
見る者によって質素なものの中に見いだされる情緒、そういう美のあり方に惹かれる。
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11:36, Thursday, Oct 30, 2008 ¦ 固定リンク
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