2008年10月21日
先の投稿に続いて鞆の浦についてである。今朝の新聞に知事の発言が紹介されました。
「人が住んでこその鞆の町で、無人の町に価値はない」ということはもっともなのですが、では、橋を架けると町に人が住むようになるのでしょうか?
それが、ひとつのきっかけを作るという可能性はあるのでしょうが、それは観光事業目当ての大きな民間投資を呼ぶ可能性があるということぐらいでしょう。道が広くなっただけで何も変わらなかったという可能性も同時に残る訳です。
民間はお金に対してはシビアです。道が広くなっただけで、そう簡単に観光や事業が活性化できるとも思えません。
大きなお金をかけて外科手術的に街を変えていくやり方もたしかにあるでしょう。しかし、今はそれだけの時代ではないし、住民と一体になって街づくりを考えていく時代だと思います。
すでに17年かけて、住民たちが盛り上げてきた努力や実績と較べたら、公共工事でお金をかけてあとは任せたという考え方は中途半端だと思います。
「魅力的な街」をつくることよりも「橋を架ける」ことが目的の発言に感じられてしかたがありません。
そんな安易な発想で港街の風情を壊して誰が責任を取るのでしょうか。
映画セットのような人工的な歴史的景観をつくろうとするのではなく、今あるものを大事に継承発展させていく本物の歴史的景観づくりを考えてもらいたいものです。
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http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200810210027.html
鞆架橋「学者の声必要なし」
藤田雄山知事は20日の定例記者会見で、福山市鞆町の鞆港の埋め立て・架橋計画について、「人が住んでこその鞆の町で、無人の町に価値はない」として住民の意向を重視し、部外者である「学者たちの意見を聞く必要は全くない」との考えを強調。事業の推進にあらためて意欲を示した。
藤田知事は、計画が実現すれば「海から町並みや(江戸期から残る)常夜灯が見てもらえる」と指摘。一方で、常夜灯とともに鞆の歴史的港湾遺産の一つである雁木(がんぎ)には「太田川の船着き場は全部、雁木。こんなのはどこにでもある」とし、「どういう観点から物を見ていくかが重要。人に住み続けてもらい、景観を含めて維持してもらうには何をすべきかということだ」と続けた。
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19:13, Tuesday, Oct 21, 2008 ¦ 固定リンク
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